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Hitomi Hasegawa
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PEEP SHOW
ピープショウ --パーソナルコンピューターは現代の「ピープボックス」となるか
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PEEP SHOW ピープショウ --パーソナルコンピューターは現代の「覗き箱/ピープボックス」となるか

1、ピープショウの歴史と窃視の欲望

Peep Show は、もともとは写真を覗き穴から見せる箱のことで、15世紀にヨーロッパで始まった。ピープボックスとも呼ばれている。19世紀には世界中にひろまり、中国や中東でもピープショウは見られた。また性的な一連の写真[1]を見せる道具としても広く使用された。[2]
覗き穴を覗き込んで何か性的なイメージを見る機械は、見世物小屋やストリップ劇場などの歓楽地や娯楽場で、大人の楽しみのために用いられた。また、人混みの中であれ小さな穴をひとり覗いて公的には禁じられたものを見る楽しみは、人気を呼んで世界中に広がった。

しかし20世紀に入り、映画が現れるとピープボックスは次第に廃れていった。窃視的欲望の充足の場は映画に移ることになる。しかし初期の映画は、単純な見せ物(スペクタクル)として、人が歩くとか、列車が走るなどの動画が驚きを持って公衆に迎えられた。[3]「映画のための闘い」の中で、ハンス・リヒターは1923年のエルサレムでの上映の例をあげている。

しかし、物語の台頭により、単純に映像を見る楽しみから、より窃視症的な快楽が映画に求められるようになり、そして映画はさらに普及していった。映画の中では観客は自分自身を登場人物に一体化したり、映画の中の人々に悟られること無く安全な場所であり得ない状況を楽しむことができる。そのような楽しみは、映画という動画(moving image)でしか得られないものであった。
映画と窃視の欲望の関係性は、多くの批評家や論者が書いている。ローラ・マルヴィLaura Mulvey は1975年の「視覚的快楽と物語映画」"Visual Pleasure and Narrative Cinema"[4]の中で、男性による能動的な視線と女優の身体の客体性を映画の中の視線として捉え、窃視的または視覚快楽指向的な関係性を論じた。
2002年のZKMでの展覧会「 CTRL [Space] Rhetorics of Surveillance from Bentham to Big Brotherのカタログの中で、トーマス・Y・レヴィンは、映画の中で状況を監視するかのようなカメラの視線(つまり映画での映像)と、主人公の視線により他の人物を覗き見るカメラによる映像は、観客とカメラを一体化させ(サタイア・セオリー)人々が本来持っている窃視的欲望を満たすといっている。[5]
エリザベス・カウイElizabeth Cowieは「現実性のスペクタクルとドキュメンタリー映画」で、主にドキュメンタリー映画の中での窃視欲望を満たす傾向を論じた[6]


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